居合刀について考える
武術を長年にわたって嗜んでいると、さまざまな疑問、疑念が浮かんでくる。
以前から感じていた疑問の一つに「居合刀」がある。
居合刀の何が疑問かというと、刀身や拵え、つまり居合刀の姿そのものについてである。
江戸時代に居合の稽古に使ったという刀は何の装飾もない、極めてシンプルなスタイルをしている。
以前にも述べたが、居合で使う刀は、武士が日常帯刀している大小とは、根本的に違うのである。
これは非常に重要なこと。
現代の居合人の刀はどうだろう。
大会で刀を見ると、鍔から鞘から下緒に至るまで、それはそれは豪華であり、おまけに袴まで競争の類に入っている感がある。
今の人たちが居合で使っている刀の拵えは、明らかに武士が登城する際に差している大小の「大」なのである。結論を言うと、要するにその刀は居合用ではないのだ。
本来、居合用の刀は何の装飾もなく、実用本位であり、刀身には樋も波紋もなく、刃もない(刃引き)。
稽古では紋付きは着ないし、公用の大小も差さない。
手差しの稽古着に「居合用の刀」である。
技や形を継承することだけが武術の継承ではない。
肝心の刀や稽古着、形以外のさまざまな所作、道場での作法、自流の歴史や遺産、学ばなければならないことは山ほどある。