『剣経』 日本剣術に影響
『剣経』は明代の武人、兪大猷(1504~1580年)の著作である。
福建の晋江の出身で、字を志甫という。
その父は百戸長で、家は貧乏だったが子どもの頃から読書が好きで、『易経』を極めた。
彼は何度も軍隊を指揮して倭寇と戦い、それを撃滅した。
その著書『剣経』の名はもちろん『易経』から採った。
名前は『剣経』であるが、その内容は棍法を解説している。
なぜ棍法の解説書を『剣経』と呼ぶのだろうか。
まったく不可解である。
この『剣経』が江戸時代に日本に入り、剣術の技法に少なからず影響を及ぼした。
紹介する剣術の伝書に、
踏炎求出勢 進鑿勢 躍龍勢 猛熊回顧勢 飛殺勢 擲標 用牌 不争剣
の「八法剣」を掲げている。
しかし、標と牌はそれぞれ剣と盾であり、根本的に日本剣術とは違っている。
これがどのような形で伝承されていったのか、興味は深まるばかりである。
伝書の発行は皇紀2516年(安政3年、1856)で、発行人は奥津房之助。
判から流儀名を「相○流」と読めるが、一切は不明である。
日本武芸新聞 『水月』 でさらに深く掘り下げてみたい。