重房流棒術のこと
兵庫県の旧出石藩に人見流棒術とともに伝承されていた重房流棒術。
なんと驚いたことに、昭和の中頃まで稽古がされていたという。
これを当協会のドイツ支部長、Carsten氏が出石の武家屋敷でその奉納額を 「発見」 し、筆者に報告してくれた。
武具・書画・伝書など、展示してあっても興味・関心がない者は素通りしてしまう。
武道を稽古している者でも、このような歴史的遺産に興味がなければ同断である。
古武道を修行し、少しでも歴史に興味がある者が見ないと、それは倉庫に隠してあるのと同じである。
だから、正に 「発見」 なのである。
今般、我が協会の明石支部長、西躰氏が詳細に調査を進めてくれ、重房流棒術が昭和まで伝承されていたことを報じてくれた。
しかし、今のところ伝承者は見つかっていないようである。
残念でしかたない。
関西では古流 (と言っても純粋な古流はごく少数) の人たちが、同門内で対立し、分派し、技や形にいたっては流儀崩れが激しく、健全に伝承されている流派は極めて少ない。
そんな揉め事の多い流儀に固執していないで、なぜ重房流のような純粋な古流を学ぼうとしなかったのか。
これは明らかに研究心の欠如である。
もう一度、公の場に登場している流儀ではなく、地方に埋もれている流儀を調べてほしいと思う。
若い人たちの奮起を期待したい。
(完)