武術形は美しくなければならない
真の古武道の教授を受けたことのない者、あるいは現代武道や格闘技をする者がよく言うこと、
「武道・武術は強いことが第一条件、強くなければ話にならない」と・・・
何度も書くがこの 「強い」 というのは何を意味しているのだろうか。
多分、彼らが言うのは「喧嘩に強い」ことなのだろう。
その喧嘩とは何か?
殴り合い、蹴飛ばし合いだろう。
だったら、まったく目的の違う古武道に対して、強いだの弱いだの、見当違いのことを言うべきではない。
殴り合いに強くなるために古武道があるのではない。
喧嘩に強くなりたいのだったらボクシングでも極真空手でもやればいいだろう。
古武道は今さら言うまでもなく、江戸時代には武術、あるいは武芸と呼ばれていた。
もちろん今もそのように言って問題はない。
術や芸は難度の高い技術の上に成立し、それに「美」と「礼」が要求される。
喧嘩や格闘技とはまったく次元の異なる世界の身体文化である。
江戸時代における武士の心技体の一致に見る 「総合的な身体の強さ」 は、今の喧嘩における暴力的な強さとはまったく異なるものであり、両者を同じ土俵に上げて論じること自体が間違っている。
このような低次元なことを書くのはまったく気が進まないが、未だに強さの概念を取り違えている輩が多いのは困ったものである。

このような伝統的剣術をいくら稽古しても現代の競技剣道には勝てないし、ましてや殴り合いに強くなるはずもない。
(完)