正式な起請文
鎌倉時代後期ごろから、起請文は各地の社寺で頒布される牛王宝印 (ごおうほういん) という護符の裏に書くのが通例となった。
ここから、起請文を書くことを 「宝印を翻す」 ともいう。
特に熊野三山の牛王宝印 (熊野牛王符) がよく用いられ、熊野の牛王宝印に書いた起請文の約束を破ると熊野の神使であるカラスが三羽死に地獄に堕ちると信じられ熊野誓紙と言われた。
落語の『三枚起請』でもこのことは説明されている。
しかし、江戸時代の武術の起請文にはあまりこの熊野護符は用いられなかった。
簡略する場合には、巻物の最初に神文と罰文を書いておき、入門者は年月日と氏名を書いて血判するという風邪が一般的となった。
このような風潮の中で、松代藩の神道流剣術師範落合瀬左衛門は、入門者からはめいめい起請文を出させた。
用紙も古来の熊野護符を用いている。
(完)