我が修行する流儀の故実を知ること
古流を稽古する醍醐味は、先人が伝えてきた教えに直接触れることができることである。
しかし、近年の古流修行者は文武の武にしか興味がなく、軽く握れば粉々になってしまう空蝉のようなものである。
歴史には興味がない、伝書にも興味がない、ましてや武具や小道具にはまったく興味がない。
これではご飯しかない定食と同じ。
おかずがなければ定食にはならない。
ご飯はメインではあるが付属するものが何もないと定食とは呼べない。
古流も然り。
技(形)は流儀のメインではあるけれど、伝書や武具、史蹟などを知らない者は、真の古流を知ることができない。
技や理論は現代武道でもいくらでも学ぶことができる。
しかし、現代武道にはそれに付属する江戸時代からの歴史的遺産がない。
武道と言いながら、武士が実践してきたものではないからである。
少なくとも、古流の修行を志す人はその文化的側面にも目を向けてほしい。
特に自分が稽古している流儀の歴史や伝書ぐらいは知るべきである。
(完)