形の変質
形の変質
同じ流儀であるにもかかわらず、道場により、人により、動作に異同が認められることは珍しいことではない。
このことに関しては度々ここでも述べてきた。
私自身が修行した流儀でも、柳生心眼流、神道無念流立居合、関口流抜刀などは、いずれも一人稽古を重視するため、人による形の変質が顕著である。
どちらが正しいなどということは言わないが、あきらかに口伝が欠如している場合を散見するにつけ、流儀の正しい伝承がいかに難しいかを実感している。
特に私が修行した流儀では、時代が下がるにつれ、師範自身が教授する形を変えてしまった場合も少なくなかった。
これもよく見ることだから、驚くことでもないが、武術の場合には人が生身を以て表現するため、同じ師範から同時に習っても体格や体能、あるいは素質によって演じる形に相違が生じるのである。
これが次の代になると、まるで違った師範の系統ではないかと思われるほど変質してしまう。
私が学生時代に学んだ柳生心眼流は、今のものとまったく動作が異なっているし、金鷹拳にいたってはほぼ別物といっても過言ではない。
(完)
by japanbujutsu
| 2024-02-13 18:44
| 技法研究の部屋 Skill


















