実光流柔術
明治時代の柔術史は近世から近代への過渡期に当たるため、伝統を固持して絶えた流儀、新流を立てて一代で消えた流儀、新流を立てて大成功した流儀など、様相はさまざまである。
紹介する実光流柔術もその一つ。
明治時代の新流派かと思ったが、『武芸流派大事典』に、
「藤堂藩士、江原慶太夫。同藩および日向延岡藩に伝統がある。後者の内田一心が著われている。」
とあるから、この伝書の発行者、弘毅館長江原金吾左衛門は慶太夫の後裔であるに違いない。
しかし、伝統を固持して、いつしか絶流してしまった流儀である。
伝書は明治29年の発行であるから、戦前までは伝承されていたものと思われる。
藤堂藩は津藩(三重県津市)の別称。
内容を見ると、母体となった流儀は関口流であることがわかるが、多くの他流を加味していて原形はかなり崩れている。
失伝が惜しまれる一流である。
(完)