杜撰管理極まりない宮司と教育委員会
武術奉納額の調査に出かけると、極めて親切に対応してくれる神社(宮司)と「何をしに来た」と言わんばかりに追い返す最低の神社に出合う。
親切に対応してくれた神社としては京都の平安神宮がある。
一方で、無関心さに加えて、カネにならないことは何もしないというぐうたら宮司が牛耳っている神社が数多くある。
奉納額とは献じた人たちが参拝者に見てもらうために掲げたものである。
倉庫にしまい込んでいては何の意味もないし、それは掲額者に対する冒涜でしかない。
さらにそれは学術研究の阻害でもある。
ここに数例を挙げよう。
◆京都八坂神社
ここには立派な絵馬堂がある。
昭和の時代までは自由に堂内に入って絵馬(奉納額)を見学できた。
しかし、平成になってまず額に金網が張られ、続いて周囲に柵が作られて内部に入れなくなり、今では物置になっている。ここの宮司には必ず天罰が下るだろう。
◆北野天満宮。
ここの宮司は親切であるが、管理をしている教育委員会が無能極まりない。
額の上に重ねて額が掛けられ、古い額がまったく見えなくなっている。
移動は手間が掛かるのでできないという。
怠慢極まりない。
◆栃木市太平山神社・高崎市榛名神社・碓井峠熊野神社
この三社は関東のワースト3である。
奉納額を倉庫に閉じ込めて、誰にも見せない。
榛名神社に至っては、奉納額は非常に重いので、梁に負担が掛かって危ないから外してあるのだという。
ならば上の画像の絵馬堂はとっくに崩れ落ちているはずである。
無知も甚だしい。
もう少し宮大工の建築を勉強した方がいいのではないか。
寺でも同じ様なことがよくある。
近藤勇の遺品をしまい込んでどこにも出さず、だれにも見せない三鷹の龍源寺。
二度訪ねたにもかかわらず、道場を見せてくれないあきる野市の某寺。
所沢の山口観音も酷い。
京都の御陵衛士墓所である戒光寺は墓地を隠してしまった。
公共施設では講道館の対応が最低である。
年始め草々、愚痴を書き並べてしまったが、すべての遺品は元々他人のものである。
見せることによってこそ、初めてそこに価値が生まれる。
私蔵=死蔵に陥っている文化遺産に少しでも日の目が当たるべく、敢えてここに記した次第である。
神主、住職はもっと教養を深め、人のため、世のため、文化のために貢献してほしい。
暖かい社務所に座り込んでパソコンを見ている場合ではない。
(完)