ブログトップ

国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

japanbujut.exblog.jp

本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

カテゴリ:武術論考の部屋 Study( 300 )

袴の襞のこと

袴の襞について、何を見ても同じ内容のことしか書かれていない。
曰く、

袴の襞 (ひだ) は前に五本、後ろに一本あるが、前の襞は儒教の五常、すなわち、仁・義・礼・智・信 (人間が守るべき五つの徳=思い遣り、人助け、礼儀、知識、信頼) または、五倫、すなわち、義・親・序・別・信 (君信の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信) を表しており、後ろの襞は忠義一如、すなわち、心のない誠の道を表したものだとされる。

b0287744_21334462.jpg


残念ながら、そのいずれも出典が示されておらず、何を根拠に述べたものか判然としない。
そうは言うものの、筆者も今は、それを調べる余裕はない。
ネットは恐ろしい。
こじつけや誤解釈、あるいは創作した理屈が瞬く間に拡散してしまう。

しかし、筆者がかつて師匠から伺ったことは、そのような単なる数合わせとは違っている。
その前の五本を見ると、右側に二本、左側に三本ある。
それは、

二本は陰を示し、三本は陽を示している。

これを知れば、それより先の解釈は武術を長く稽古している諸賢にはお解りいただけると思う。

なお、とある著名な剣道家は 「袴のひだは左足側に三本、右足側に二本の計五本ありますが、これが米・麦・ヒエ・粟・豆の五穀を表している」 という。驚くべきことに、袴が襞数が農民起源になってしまっている。出典を知りたい。






(完)
by japanbujutsu | 2018-11-15 17:03 | 武術論考の部屋 Study
薙刀対鎖鎌

これは一概に薙刀が有利であるとは言えないところに面白みがある。

b0287744_20433714.jpg


しかし、これは形稽古用の薙刀であるから、写真用にモデルになったことがわかる。

異種仕合もあれば面白いのだが・・・

鎖鎌の後ろ足が開いているのがよい。






(完)
by japanbujutsu | 2018-11-01 17:39 | 武術論考の部屋 Study
武具の貸与

入門してきた門人に対して武道具を貸し与えるか、買わせるか。
もちろん、買わせるべきである。
師匠の、あるいは他人の武道具で稽古をするなど言語道断。
借りると言うことは、その武道に対してさほど興味もなく、いつ辞めるのかもわからないからであろう。
本当にその武道をやりたいのならば、最初は安価なものでもよいから購入すべきなのである。

稽古着も同じ。
最初のうちは運動のできる服装で・・・などということを許可している道場もあるが、これまた失格である。
武道をやるのなら、まず最初にすることは稽古着の購入である。

カネがないとか、学生だからなどというのはまったく理由にならない。
稽古着も買えない者に武道を稽古する資格はまったくない。

b0287744_2241418.jpg

b0287744_22415928.jpg

b0287744_22421824.jpg


江戸時代に農民が武術の稽古をできるようになったのは、有力農民が財産を蓄積した結果であり、自分で稽古道具を用意したり、師匠に束脩を差し出すことができたからである。






(完)
by japanbujutsu | 2018-10-26 22:28 | 武術論考の部屋 Study
免許皆伝者の義務

古武道を修行していても、流儀の全伝を授けられて (免許皆伝)、流儀を継ぐまでになり、さらに稽古場を開設して後継者を育成しようする者はほんのわずかである。

b0287744_20462865.jpg


だからいくら弟子が多くても、後継者になる自覚のある者がいなければ、流儀は滅びるのである。

逆に、たった一人しか門人がいなくても、彼が後継者となれば、流儀は命脈を保つのである。

現代の社会において古武道を真剣に修めんとする者は、皆伝を目指すと同時に、流儀の歴史や伝書、武具類についても造詣を深める必要がある。

昔日の相伝者たちはこれらを深く研究し、後世に伝える努力をしたのであるから、流儀とはこれらすべてを含めて考えなければいけない。

武術の稽古は実技のみならず、こうした 「文」 の部分も学ぶ (教える) 必要があろう。







(完)
by japanbujutsu | 2018-10-22 17:35 | 武術論考の部屋 Study
極意の対戦

ある流儀の極意と別の流儀の極意を戦わせると相打ちになるということを、昔、誰かの時代小説で読んだことがある。
しかし、これは非常に現実的なことで、あながち小説だけの世界ではないようなのである。

b0287744_20252611.jpg


実際、柳剛流の極意の一手と、柴真揚流の極意の一手 (双方が太刀) を以て戦うとすれば、双方が即死するという恐ろしい結末が待っている。

人が究極の状態で考えることに大差はない。

柴真揚流の秘伝は見ても最初は気づかない。
わが門下生たちも誰一人筆者が演じた業のからくりを見破れなかった。

これは柴真揚流剣術の 「手の内」 の秘伝であり、前回の稽古を実見していた門下生だけが知り得た極秘伝である。

武術の極意は先入観 (常識) を破るところにある。







(完)
by japanbujutsu | 2018-10-20 17:14 | 武術論考の部屋 Study
武術流儀に貴賎なし

水月塾姫路支部長の西躰氏は、彼の住む兵庫県の武術史の調査を精力的に推し進めている。
その研究姿勢は極めて立派なもので、敬服に値する。

さて、今回、書かれていた 「武術流儀に貴賎なし」 の記事もたいへん丁寧に調べられていて、筆者が述べるべきこともないのであるが、少し気になる部分もあり、ここに管見を開陳する。

確かに、流儀そのものには種目に寄らず、本来貴賤など存在する道理はないのであるが、歴史の中で、流儀により、種目により、地域により、やはり武術には貴賤は見られるのである。
しかしながら、これは武術のすべてに普遍的に言えることかというと、さにあらずであることもまた確かなことである。

つまり武術流儀に貴賤がないと言い切ることは決してできないということである。

松代藩の無雙直伝流は棒術や鎖鎌などの諸術を含むが故に、藩内での教授が許されず、藩を取り囲む 「藩領」、すなわち北信濃の農村部、辺境地帯に押しやられている。
また、同じ北信濃の荒木流は総合武術であるがゆえに、これも藩内では教授を許されず、こちらは被差別民が伝承した。
広島の禁心流は鎖術を伝えることにより、被差別民が捕縄や三道具とともに継承したという事実もある。
佐賀の多久郷の捕手武術はこれまた主として国境警備の被差別民が伝承の担い手となった。

やはり、棒、捕縄、十手、鎖鎌、鉄鎖、三道具などは、身分の低い者たちが稽古する風潮は確かに存在し、それらは藩校で教授される流儀とは明らかに一線を引かれていた。

写真は、甲州郡内領 (天領) の山村で幕末期に農民に伝術されていた小野派一刀流剣術の起請文であるが、その第四条に、

他に罷越候共自師と成申間敷事

とあり、たとえ免許を得ても (農民ゆえに) 他地域に出て人に指南することは許されなかった。

b0287744_23224399.jpg








(完)
by japanbujutsu | 2018-10-18 17:54 | 武術論考の部屋 Study
今、学んでいる武術に専念せよ

海外の門人や一部の日本人によく見られるのは、同時にさまざまな団体や道場に所属すること。
これは決して勧められることではない。
興味が先行するのは武術が好きな者としてわからないこともないが、限度というものがある。

たとえば外国会員の場合、わが協会で武術を学ぶのであれば、「忍者」 の団体は辞すべきである。
正統古流を学ぶのに、現代忍術を併修するのは害でしかない。
古流を学んでいるにもかかわらず、忍者のままでいるというのは古流の本質をまったく理解していない証拠である。

また、他流の経験者は大いに歓迎であるが、別の稽古場で新たな流儀、武術を稽古するときには、それまでに修行した他流の技は封印しないといけない。

また、他流の知識を持って、別の流派の技の是非を論じるのもやってはならない。

現在、学んでいる流儀、稽古場を表にするべきであって、それまで学んだ流派は、裏に据え置くべきである。

今、学んでいる武術に専念せよ。

忍者はこんな服装はしないし、こんな柔術のようなこともしない。

b0287744_20332420.jpg


地下足袋は、農林業や大工、左官など屋外で作業をする職人が履くもので、武術の稽古に使うものではない。





(完)
by japanbujutsu | 2018-10-02 17:06 | 武術論考の部屋 Study
感動の演武

最近の演武は古武道振興会にしても、古武道協会にしても人に感動を与えるような演武がほとんど見当たらない。
筆者は古武道協会の演武を第5回くらいまで見学に行ったが、毎年同じ形しか演武しない流派がほとんどであり、まったくおもしろくなかった。
その後は珍しい流儀もなく、興味もなくなってしまったので、すっかり足が遠のいてしまった。
明治神宮の振興会の演武も同様である。

そんな中で、唯一、感動した演武があった。
竹内流柔術(捕手腰之廻)。
故時沢薫師範の演武である。

b0287744_22585180.jpg


免許皆伝の時沢師範が見事な受けを取る。

b0287744_22591945.jpg


すなわち、上位者である時沢師範が打を演じるのである。

b0287744_22594416.jpg


実に見事な受けであった。

当時、柔術では天神真楊流、大東流、高木楊心流、長尾流、柳生心眼流、諸賞流などが演武をしていたが、いずれも宗家を称する、あるいは師範であるはずの人物が捕を演じ、門人をバッタバッタと投げ飛ばす。
見ていてこれほど見苦しいものはない。
師範が弟子を投げるのは武術ではなく暴力である。
そんな常識的な故実もわからずよく「全日本」の舞台に立てたものだ。

それだけに時沢師範の演武は輝いていた。






(完)
by japanbujutsu | 2018-09-28 17:40 | 武術論考の部屋 Study
肥満と猫背

武術においてもっともいただけない身体は肥満と猫背だろう。

肥満は身体の挙動範囲が狭くなる上に、動作が緩慢になり、持久力も低下するために、形に鋭さと美しさが表れない。
そもそもしっかり稽古をしていれば肥満にはならない。

また、猫背は武術を実践する上ではかなり支障になる。

b0287744_22383535.jpg


正中線が立たないために、これまた形を美しく演じることができないのである。
正座の姿勢もだらしなく見える。
矯正できるものならした方がよいだろう。






(完)
by japanbujutsu | 2018-09-26 17:30 | 武術論考の部屋 Study
復元

筆者が松代藩文武学校武道会の演武会で時折演武している関口新心流柔術は数多の伝書を付き合わせて復元したものである。
関口新心流柔術は松代藩においては殿様自らが稽古をしたという藩中でも高位の流儀なのである。
復元のため和歌山に現存する系統とは趣きが異なっている。

全日本古武道協会が復元や創作流儀の加盟を認めているのであればかまわないが、せめて復元・創作された加入流派はそのことを公表すべきではないだろうか。

復元した関口新心流柔術

b0287744_20191585.jpg

b0287744_20193485.jpg

b0287744_20194982.jpg







(完)
by japanbujutsu | 2018-09-24 17:05 | 武術論考の部屋 Study