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国際水月塾武術協会 International Suigetsujuku Bujutsu Association

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本会が伝承している武術流派と古武道全般の技法・歴史・文化などを解説します。文章・記事・写真の転載は固く禁止します。

カテゴリ:柳剛流兵法 Ryūkō Ryū( 18 )

柳剛流長歌(自作)

太刀を執り 敵に向かいし 事ならば 太刀にて斬るな 飛龍剣 人はただ 心で斬れと 言うけれど 太刀に色なし 無心剣 心に知りて 手になせば 受け取り渡す 中合刀 光も濡れず 水の面に 月はよなよな 移れども 水にあとなし 相合剣 石火に向う 一文字 右行左行と 業尽くし やみなる跡の 後詰め 切り上げ見れば 有明の 月を見るかな 心だに 誠の剣 抜き放ち 円相破る 鏡の身 月も月なれ 惣右衛門 玉もたまなる 左馬之輔 角田に開けし わが流儀 電光石火に 飛び違い 撃てば則ち 響きあり 臑を斬りたる 稲光 右剣拍子の 早業と 思う闇路の 夜は明けて 左剣の至極 理は万里 さまざまありと 心得よ 誠の理こそ 実なる 神武の国の 山桜花

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(完)  
by japanbujutsu | 2018-10-06 17:33 | 柳剛流兵法 Ryūkō Ryū
柳剛流長刀

薙刀界から「男長刀」がなくなって久しい。
古流でも香取神道流や直元流に男長刀が残っているが、現在、直元流はなんと女性が大薙刀を演武している。
本来、大薙刀は男が使うものである。

さて、タイトルの柳剛流長刀を伝えているのは、全国でもわが道場だけとなってしまった。
おまけに柳剛流における長刀は最高位の秘伝に属するもので、わが道場でも現在までに長刀を学んだ者はわずかに4名。

柳剛流では8尺の長刀に4尺の木刀で形を打つので、間合いはかなり広い。

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しかし、長刀も木刀も流儀独特の「飛び違い」を用いて使用するため、この長さはむしろ身体にしっくり来て、真に使いやすい。

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(完)
by japanbujutsu | 2016-09-29 17:07 | 柳剛流兵法 Ryūkō Ryū
柳剛流の木刀

流儀にはそれぞれオリジナルの木刀が伝えられている。
この正しい長さ、太さ、形態の木刀で稽古をしないと、真の流儀の技は修得できない。
力信流では明治時代に岡山の大江家で使われていた木刀と、戦後、大長九郎が武徳会で使用した木刀の形態(現行型)が異なっていて、筆者としてはこれが大きなジレンマとなっている。江戸期の力信流木刀は柳剛流と同じで長くて無反りである。

柳剛流の木刀については、宮城県の角田・丸森地区に調査の手が回らず、未確認であったが、幸い埼玉県さいたま市の深井家に江戸期の木刀が残っており、それを採寸して製作した(上が柳剛流、下は現行の力信流用)。

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先日、できてきたので、使ってみる。
四尺以上あるので、まず間合いから異なる。

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そして、四尺の木刀を使うことにより、あることを悟る。
これは実際に柳剛流の技・形ができなければ実感できない。

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これは重要な口伝であり、そして秘伝である。
古流の古い木刀には四尺前後の長い木刀が結構残されている。
その真価を知ることができるのは、実際にこの木刀を使用していた流儀を今に伝える者たちだけなのである。

<余談>
この木刀は切っ先が切り落としのものとハマグリ型のものがある。
筆者としてはどちらでもよかった。
しかし、製作業者は何を思ったのか、平切り(柄頭と同じ切り口)で送ってよこした。
返送して作り直させようかとも思ったが、自分で削るのもまた一興。
切り落としにした。




(完)
by japanbujutsu | 2016-08-24 17:43 | 柳剛流兵法 Ryūkō Ryū
柳剛流の階梯のこと

柳剛流ではまず剣術から入り、その途中で居合が加わり、突杖を修め、秘伝の薙刀で終わる。

宮本武蔵は 『五輪書』 の各文節の終わりに 「能々吟味、工夫あるべし。鍛錬あるべし」 と加えているが、これがまた意味深長である。
つまり、修行というのは、鍛錬に始まり→吟味→工夫と進み→鍛錬にもどる。
この繰り返しであるという。

なるほど柳剛流ではまず剣の遣いを教え、すぐに居合を教える。

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                   水月塾埼玉支部の瀬沼師範による柳剛流の居合

これは居合で鍛錬して剣で吟味すると考えられ、薙刀で工夫するという置換ができるのではなかろうか。
これは実際に柳剛流を稽古している者でなければ、何を言っているのかサッパリ解らないと思うが、実際に流儀の課程がそのように位置づけられているのである。

ここで問題なのは突杖(とつじょう)の存在である。
この杖術だけは一連の流れの中に入っていない。
だからその杖術だけを稽古したところで柳剛流のことは何も悟ることはできない。





(完)
by japanbujutsu | 2016-08-06 17:27 | 柳剛流兵法 Ryūkō Ryū
武術流儀の情報網

ユダヤ人がディアスボラとなって全欧州に分散したとき、彼らには信仰という絆による情報網が築かれていた。
どこの国でも少数派であり、差別や迫害を受けながら、しかしそのどこの国にも存在するという立場を利用して彼らの社会的地位は保たれていた。
徹底したスパルタ教育で社会の上層部におけるエリートとなり、大資産家となった。
この全欧州を 「支配」 していた彼らの中から、ロイターのような報道・通信のエキスパートが誕生するのもそうした背景があったからだ。

日本の江戸時代における武術にも同じような状況が存在した。
一部の学のない者たちが言う 「お留流」 なる流儀は存在した記録も形跡もない。
それどころか全国諸藩に散在している一つの流儀は特殊な情報網によって繋がっていたことが諸史料から判明する。
いろいろ例を挙げても仕方ないので、ここでは柳剛流を取りあげる。

柳剛流は本家が武州にありながら、実力的に同門随一であった一條 (岡田) 系が仙台角田に伝承し、現在は筆者が相伝している。
実際には角田に分家した形になったわけであるが、武州とは常に往来があり、それは記録として残されている。
また、伊勢の伝とも交流があった。
筆者が角田で見た柳剛流の居合稽古刀は、武州の岡田十内が使用した刀と瓜二つである。
次の写真は 『 埼玉の剣術 』 (戸田市立郷土博物館刊) に掲載されている岡田十内使用の居合刀であり、その下の写真は角田の佐藤家が所蔵する居合刀である。

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なお、切っ先が諸刃になっているのは返す刀で斬るためのものではない。
勝手な解釈をされては迷惑である。





(完)
by japanbujutsu | 2016-07-31 17:40 | 柳剛流兵法 Ryūkō Ryū
仙台藩角田伝柳剛流剣術相伝系譜

ここでは水月塾が相伝している系譜のみ示す。他系は 『水月』 にて完全な系譜を示す。

流祖 岡田惣右衛門源奇良
二代 岡田左馬之輔甲斐源信忠
三代 斎藤数衛藤原清常
四代 泉錬蔵源冨次
五代 佐藤金三郎藤原萬正
六代 佐藤健七藤原萬直
七代 佐藤正敏藤原信勝
八代 小佐野淳藤原信常

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写真は佐藤健七先師による居合「切上」 (『剣道日本』1983.12表紙)
新武館にて
by japanbujutsu | 2016-04-07 17:49 | 柳剛流兵法 Ryūkō Ryū
柳剛流のふるさと丸森を訪ねる(6)

今回の訪仙での大きな収穫の一つは、佐藤弥一郎翁が居合の稽古で使用した刀を見られたこと。
佐藤家ご当主の特別なご配慮により見せていただくことができた。

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安政六年(1859)五月 葉山丸銘
全長132cm(いわゆる三尺刀)
柄長36cm
波紋は直刃
帽子は短く、樋なし
無透木瓜鍔

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全体的に細身で非常にバランスに優れている。

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おそらく、この刀鍛冶は、万延頃の作が多い出羽国の葉山丸正義だと思われ、典型的な新々刀を鍛えた。
by japanbujutsu | 2016-04-05 17:43 | 柳剛流兵法 Ryūkō Ryū
柳剛流のふるさと丸森を訪ねる(5)

角田市舘矢間安久土新田町の佐藤家においていくつもある柳剛流起請文の中から特別に二巻を見せていただく。

一巻は佐藤弥一郎本人の門弟衆からとった起請文。

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明治三十八年に向井精磨(後に剣道範士七段)が二十歳で入門している。

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もう一つの起請文は弥一郎の師匠、三芳久馬のもの。

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門人筆頭に免許皆伝の浅野与五郎の名が見える。
なぜこれが佐藤家に残されているかはわかっていない。
by japanbujutsu | 2016-04-03 17:16 | 柳剛流兵法 Ryūkō Ryū
柳剛流のふるさと丸森を訪ねる(4)

昼食後、角田市舘矢間安久土新田町にある佐藤弥一郎翁の稽古場 「新武館」 を見学する。

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この稽古場は明治28年に建てられ、三間×四間の当時としては標準的な大きさである。

通りに面した側面には武者窓が設えてある。

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武者窓と反対側の側面は師範席・見学席で、畳敷きである。
内部は現在、物置になっており、稽古をすることができないのは残念である。

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次回、訪問時には是非、稽古をさせていただきたいと願う。

弥一郎はその後、石川家が北海道開拓のために移住した際、それに同行し、そこでも柳剛流を指南したという。
流儀は子の亀次郎が継いだが、第二次大戦後は途絶えてしまった。

佐藤弥一郎の柳剛流は、泉冨次とは別系であり、その伝は筆者の柳剛流の中に一部流れている。
by japanbujutsu | 2016-04-01 17:25 | 柳剛流兵法 Ryūkō Ryū
柳剛流のふるさと丸森を訪ねる(3)

柳剛流の最盛地、丸森には明治から大正期にかけての師範の頌徳碑が六基もある。

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村の各地区に師範がいて、それぞれが数十名の門人を抱えている。

村の若者(当然男のみ)は、ひ弱でない限りだれもが稽古した。
広島県坂町の渋川一流も、宮城県仙北の柳生心眼流もまったく同じ状況である。
筆者が地方における古流武術の最盛期は明治~大正期にかけてであるという所以である。
明治維新を境に古流は廃れたなどというのは大都市部だけの現象である。

角田市長泉寺山門前にある流祖岡田惣右衛門の頌徳碑も見てきた。

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by japanbujutsu | 2016-03-30 17:07 | 柳剛流兵法 Ryūkō Ryū