歩行の秩序と女侍
江戸の絵師は当然、当時の風俗や慣習を承知の上でその日常の様子を描いている。
それは例えば、現代の絵師が道路を走る車を描く場合、当然のことながら左側通行として車を描くはずである。
ところがである。
実際に江戸時代の町の様子を描いた挿絵を見ると、一般的に言われているような左側歩行などという規制はまったくと言っていいほどみられないことに気づく。
むしろ上の絵図では右側通行になっていることがわかる。
日本の道路が左側通行なのは 「侍のルール」 が由来、などという盲目的な俗説は信用すべきではない。
挿絵で見ればわかるように町の道路は身分混交である。
武士がいれば、百姓もおり、商人がいれば、僧侶もいる。
日本の身分が武士だけであるならば、説得力はあるが、このような身分混交の場において 「侍のルール」 「武士の規範」 なるものが適用されるのだろうか。
右側通行では互いの刀の鞘がぶつかるから左側通行になったのだというが、侍の鞘は帯刀していない者にだってぶつかるのである。
また、下の図の右側を見ると、一刀差しの女性あり、二刀差しの女性ありで、いわば女侍が普通に町中を闊歩していたことがわかる。
人混みの中ではルールなどまったく無用である。
このことについては次回にさらに詳述してしたいと思う。
(つづく)