流派の商標登録 無知の成れの果て
本内容は特定の流派に対して述べるわけではない。
古武道(古流武術)の流派というものが、どのようなものかを理解していない者たちが、無知をさらけ出して流派の独占を試み、挙げ句の果てには世間に無様な姿をさらけ出している有様を見聞するにつけ、日本武道界の暗澹たる未来を危惧するものである。
そもそも、まず最初に武術の流儀は個人の所産ではないということを肝に銘じなければならない。
流儀は先代からの預かり物であり、それを次代に受け渡すことが師範の使命である。
個人の所産ではないので、独占する権利などあるはずもない。
先代から免許なり、皆伝なりを授かり、師範となって後進の指導をする。
当然、師範は複数人いて、だれもが同じ権利を持っている。
そこには何の差違もない、否あってはならない。
もちろん、特定の一人が「宗家」を名乗るなど、言語道断である。
古武道に宗家はないと40年前から力説しているにもかかわらず、依然として「宗家」はなくならない。
そもそも、宗家を認めている無知で指導力のない団体の体質がいけない。
流儀名の商標登録を受け付ける特許庁もまた無知の極みであり、争いを助長する元をつくり出している。
先祖からの預かり物を独占しようと商標登録する愚かな人たち。
見るに堪えない、聞くに堪えない。
もっと健全に伝承することが何故できないのだろうか。
商標登録などという争いの火種は一日でも早く抹消されたい。
それが潔い武士というものではなかろうか。
「商標登録」だの「宗家」だの、争いの火種を抱え込んで、お山の天辺で胡坐を搔くのが果たして武士のやることだろうか。
同じ流儀を継承する者、共に流儀をもり立てていくのが伝承者の務めであろう。
(完)