「神道」は古来、「しんとう」と読む
会話の機会が希薄になり、口伝が失われ、修行の浅い者たちによる勝手な解釈が介入して、正伝が失われるということは日本文化の伝承過程においてよくあることである。
武術の世界でも誤った観念や誤伝が急速に流布し、誤説が正説を駆逐してしまう状況が散見される有様である。
誤りを正すため、事あるごとに世人を啓蒙していかないと、いずれは正論がこの世から消えてしまうことになりかねない。
何度も繰り返し述べてきたことだが、今回もまた、流儀名の読みについて述べる。
それは誤読が無知なる流儀の伝承者からの発信により、それがマスコミまで盲目的に引用、あるは検証せずして孫引きするという、もっともあってはならない現象が蔓延っているためである。
大学生の論文が孫引きの寄せ集めだ、などと苦言を呈している場合ではない。
社会人自らが検証せずして無鑑査のまま、誤読を放置している現状で、学生の論文にもの申す資格はない。
閑話休題。
◆神道夢想流杖術 ほとんどの団体が「しんどうむそうりゅう」と言文。
◆神道無念流剣術 ほとんどの団体が「しんどうむねんりゅう」と言文。
◆天道流 宗家を名乗る団体が「てんどうりゅう」と言文。
◆天真正伝神道流 正しく「しんとうりゅう」と言文。
そもそも日本古来の宗教である神道に「しんどう」という読みはない。これが一部の影響力のある者によって「しんどう」と読まれたために、この読みが市民権を獲得してしまい、辞書にまで引用される有様となった。
しかし、武術は神祇、神道と深い関係にあるため、どの流儀においても流祖の時代から「しんとう」と読むのが習わしとなっている。
香取の神道流と鹿島の「新当流」は、ともに流祖以来「しんとうりゅう」と読んできた。新当流を「しんどうりゅう」と読むことは絶対にあり得ない。
今でも、神道夢想流の一部の団体では「しんとうむそうりゅう」と正しく読ませているし、私が伝承する八戸藩神道無念流では「しんとうむねんりゅう」と読ませている。
天道流も美田村千代師範が健在の折には「てんとうりゅう」と読ませており、次代の武子氏が代表になってからもしばらくは「てんとうりゅう」と読ませていたが、いつしか正しい伝承を受けていない人たちによって「てんどうりゅう」と誤読され、この誤読が流布されてしまった。
志し熱い若者たちの決断によって正しい読みが復活することを願う。
江戸時代の『武稽百人一首』には神道流に「しんたうりう」とルビが振られている。
また、古い古武道演武大会のパンフレットには天道流に「てんとうりゅう」とルビがある。
(完)